龍宮の潮吹は,岩壁に打ち寄せた大波が岩の穴に流入し,音を立てて空中に吹きあげるもので,北風が強く波の高い時などその高さが30mにも達することがある。昭和9年8月国指定天然記念物及び名勝となっている。
岩国城までを結ぶ。(城山山麓駅?山頂駅)412m
明治36年、長府毛利家14代元敏によって建てられた邸宅で、明治天皇の行在所としても使われたところです。重厚な母屋と白壁に囲まれた純和風の庭園が往時を偲ばせてくれます。湯茶のサービスもあります。 ..
木造2階建て、瓦葺きで、12部屋あり、当時のままの姿をよく残しています。実父の和田昌景は藩医だったので、藩医の生活を知る資料でもあります。
景清洞は猪出合の西南のふもとにあります。洞の長さは約1.5kmで、支洞を加えるとその長さは増加。この洞は約1000年前に発見された鍾乳洞で、700余年の昔、壇の浦の合戦に敗れた平家の主将平景清が長らく ..
指月山は標高143m、花こう岩でできた小さな丘です。防長二州に封ぜられた毛利氏はこの山麓を埋め立てて築城しました。それ以後森林は城内林として保護され、今日に至っており、温暖帯照葉樹林として全国 ..
地元の食材を使った食堂、特産品の販売所。特に美しい海を眺めながらの食事は最高です。
松陰先生に関する資料、等身大ろう人形などを展示しています。
「貴婦人」の愛称で親しまれる「C571」は、山頭火が愛した「新山口」を出発し、「湯田温泉」、大内文化の香り漂う「山口」、四季折々の情緒を楽しめる「長門峡」、山陰の小京都「津和野」までの62.9km ..
この墓所は、山口市に所在する香山墓所、萩市に所在する旧天樹院墓所、大照院墓所とともに、長州藩36万石の藩主の墓地。東光寺墓所は萩市椿東にあり、この墓所には3代藩主毛利吉就のほか、5代、7代、9代、11 ..
創業50年の、山口外郎(ういろう)の老舗。わらびもち粉と小豆あんを主原料に、白砂糖、黒砂糖、抹茶の3種があり、飽きのこない繊細な味。2階は喫茶室になっており、抹茶と供に楽しめます。●取 ..
現在の本殿は応安3年(1370)大内弘世の造進したもので、室町初期の社寺建築として特異な様式をもち、国宝に指定されている。また、拝殿は毛利元就が寄進したもので重要文化財。宝物館には多数の宝物が展示されて ..
北長門国定公園の海岸沿いにそびえるストライプの断層。割ると角ばった破面で割れることから角石(つのいし)の意味としてホルンフェルス(horn fels)と呼ばれる。畳が千枚ひけるといわれるほど広く、 ..
九州と本州を結ぶ海底トンネル。昭和11年に着工したが、戦争のため一時中断され、昭和33年3月に完成した。全長3461mで上部が車道、下部が人道(780m)に分かれ世界に類を見ない二階建て海底トンネルである。
歴史と自然に囲まれた、ちょっとおしゃれな花と緑の庭園。「人」と「自然」とのかかわりを通じて花のある生活空間を提案し、1年を通じて花を楽しむことができます。園内では押し花教室等の各種体験教室が ..
毛利家(奇数代)の菩提寺で、現在は総門三門、大雄宝殿、鐘楼だけが昔の名残りをとどめています。藩主の墓前に家臣が献じた数百の燈籠は圧巻。毎年8月15日に行なわれる万灯会は、この燈籠に火が入れられ ..
北長門海岸国定公園の中心に位置する青海島は、またの名を「海上アルプス」とも呼ばれ、大自然が削り上げた洞門や石柱などの岩の芸術作品が多く見られます。遊覧船で、そのすばらしさをたっぷりとご覧いただ ..
日本海を眼下にし、優美な景観をつくりだしている。特に5?6月の漁り火と水田の調和は素晴らしい。
中也の生家跡へ平成6年に建設された。館内には、中也自筆の草稿や日記、愛用のオーバーや机などの遺品をはじめ、詩集「山羊の歌」の初版本など貴重な資料が公開されている。
遺言によって奇兵隊の陣屋があった吉田の清水山に葬られた高杉晋作の菩提を弔うために、愛人おうのは梅処尼(ばいしょに)となって庵を結び、生涯、晋作の墓を守って暮らしました。「東行」は晋作の号で、高 ..
明治・大正時代の技術の粋を集め、自然の美に人工の妙をつくした壮大華麗な庭園です。
本館は江戸期の御殿造様式をとり入れたもので、明治・大正期の建築技術の粋をあつめたもの。毛利家代々の宝物を抄造する博物館として公開されています。国宝4点をはじめとする宝物を、入れ替えしつつ展 ..
錦帯橋は木製の5つの太鼓橋が連絡している橋で、マキガネとカスガイを使用した「木組の技法」を最大限に活用した構造となっています。春は、土手沿いのソメイヨシノやヤエザクラ3000本が咲き、淡いピンク色が ..
大寧寺は長門市深川湯本にある古刹で、応永17年(1410)、大内氏16代盛房の子孫鷲津弘忠が開山したものです。大内義隆父子自刃の地であり、その墓地遺跡があります。山口県三大奇橋の一つである盤石橋が ..
下関南部町郵便局は、下関に現存する最も古い洋風建築物で、明治33年(1900)に赤間関郵便局(当時)が電信局を統合し、新築移転されたもの。外壁のレンガは厚さ60cmという堅固なもので、逓信省(ていしんし ..
久保田家は、初代庄七が藩政時代後期に近江の国(滋賀県)から萩に入り、熊谷町の久保田家の分家となり、菊屋家の向かいで呉服商を開いたと伝えられている。二代庄次郎のとき酒造業に転じ、造り酒屋の「あらたま酒 ..